竹内志朗資料館/テレビ編

はじめに

「芝居の世界が好きになった」のにはきっかけがあります。すべては『ロミオとジュリエット』を観てから、怒濤の如く私の人生は変わったのです。あの公演を観てから今日で60年以上になります。

中学生の頃から母親に連れられて千日前、今のビックカメラの所にあった大阪歌舞伎座へ毎月芝居を観に行っていました、もちろん安い3階席です。ここでは歌舞伎、新派、新国劇と、それに前進座、主にこの4つの芝居が出ていました。だから芝居を観る下地は、母親のお蔭でできていたと思います。

あれは太平洋戦争が終わった直後、たしか昭和22年だったと思います。新制中学2年生の時のことです。学校の掲示板に、シェークスピア『ロミオとジュリエツト』新劇公演の宣伝が貼ってあったのを見て、旧朝日新聞ビル5階にあった大阪朝日会館へ一人で観に行きました。

土方与志という、築地小劇場を創立された大演出家がいましたが、その方の演出で、主演は宝塚歌劇団の人気女優、轟夕起子さんと、関西の新劇の大先輩、岩田直二さんのコンビでした。

その芝居を観たとき、劇的になぜか「将来は舞台装置の仕事をしたい」という思いが湧き、頭の中をクルクルと巡り、あっという間に私の頭はこの思いでいっぱいになりました。

この芝居は、後々伝説に語られるくらいの上出来の公演でした。当時は、まだ中学2年生でしたから、その芝居の良さも本当には解ってはいませんでした。

けれど、良い芝居だったから、こうして舞台装置の道ヘ進路を取らせたのかも知れません。舞台で演じるほうでなく、なぜ舞台装置をしたいと思ったのか、自分でも不思議なのです。

絵が巧かったわけでも、なんでもなかったのです。図画工作の時間も嫌でした。ただ、この舞台を観た頃から、図画工作が好きになりだしました。

中学3年生のときは、宝塚歌劇団で上演されていたビゼー作曲、オペラ『アルルの女』を原作としたものを観ました。

これまた濃い恋愛物です。それを学芸会で上演してしまいました。「よく学校が許してくれたこと!」と、今思い返して、ビックリしています。

こういうことがあって、舞台装置への夢に火がついたのです。

 

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